リゼロ感想

  • 2018年9月5日、毎週を生きる活力となっていたシュタインズ・ゲート ゼロが更新されず、生きる気力をCelesteに注ぎ込む。
  • 2018年9月9日、Celesteを100%クリアしてしまう。
  • 生きる意味を取り戻すため、シュタゲと同じくタイムループものとして評判がよく、心の中のヒープに積まれていたリゼロを見始める。

ということで今日ようやくリゼロを最後まで見ました。せっかくなので感想を書きます。

一番印象に残ったのはやはりレム。水瀬いのりだしね。魔獣の事件というきっかけがあったとはいえ、スバルに落ちるの早すぎない?という印象はあるものの、まあかわいくて尽くしてくれる女の子なので総合的によい。水瀬いのりだしね。18話で死に戻ってきたスバルに「はい、スバルくんのレムです」って答えていたのがとてもかわいくて良かった。死に戻りしたからそれ以前のループの関係性はリセットされてるはずなのに、ループを繰り返すごとに初期状態の親密度が上がっているように見えるのは気のせいなんだろうか、それとも本当にそこまでスバルに落ちきっているのか。

18話と言えば、スバルがレムに弱音を吐きまくって、それをレムがふんわりと受け入れ、スバルの弱さをすべて認めて理解した上で、それでも良いところがあるからスバルのことが好きだと告白するという、つまりレムが承認欲求をめちゃくちゃ効率よく満たしてくれる話。まあ正直、スバルの置かれている超絶な苦境を考慮しても、レムが都合の良い女の子すぎるんちゃうという思いは消すことができずちょっと引いてしまうところもある。でも承認欲求を満たしてくれるというのは何者にも代えがたいから……と思うとレムの都合の良さもまあいいかという気分になる。めでたしめでたし。

……いや、少し待ってほしい。それってスバルの承認欲求は満たされるけど、このアニメを見てる自分は承認されなくない?水瀬いのりの声で喋る美少女が超高濃度の承認を放出しているのに、それはすべてスバルに向けられていて、レムの顔は画面を挟んでこっちを向いているのに、承認は画面を超えて届かない。これってかなり厳しくないですか???よく考えずともこの感覚はずっと昔に経験したもので、efを見ていたときに感じていた気持ちと同じだ。画面の向こうでは美少女によって承認されている人がいて、物語という枠組みの都合上ある程度の感情移入ができるようになっているものの、結局その承認が届いているのはキャラクターであって自分ではない。いや、感情移入するように作っている分だけ、単なる傍観よりもタチが悪いかもしれない。感情移入した「自分」が受け取った承認は実はただの幻で、ストーリーを進めるとそこには承認欲求の満たされた主人公がいるが、それを見ている自分は、満たされたと思ったところにただ穴が空いているだけであることに気づく。そうか、心が切り刻まれるっていうのはこういうことなのかと身を持って体験する。ベテルギウスというやつはスバルに何度もこんな痛みを、この何倍もの痛みを味わわせたのか。脳が震える。ベテルギウスは生かしてはおけない。


スバルのキャラは序盤、というかロズワール邸の惨劇を目撃して精神を破壊されるまでとても鬱陶しくて、正直こんなテンション高くて空虚なやつとはお近づきになりたくないと思うほどだったが、王都の2ループ目以降は白々しさが抜け、だいぶ分かりやすくて共感しやすいと感じた。このへんの構造はシュタゲのオカリンと同じだと思う。

エミリアは……なんか影が薄くなってしまった。後半で直接絡んでこないのはそうなんだけど、前半でも徽章をめぐる最初のループでスバルが異世界にいる意味を確立した後は、なんだか優柔不断な上に、スバルの白々しいテンションを助長させるだけの駒のようになってしまっているように感じた。事あるごとにスバルがエミリアに言及するたび、ああそういえばスバルの行動原理はそこにあるんでしたねと改めて思い返すくらいで、ヒロインの座は完全にレムに持ってかれてしまっている感がある。しかしスバルはエミリアのことが好き……。レム……。

ロズワールは子安武人だし見るからに怪しいので絶対ラスボスだと思っていたが、王都以降ではほとんど話に絡んでこなくて拍子抜けだった。でもラムと怪しいことしていたし、世界観的にもエミリアを擁立するというのは只事ではないし、どっちかというとアニメで語られない部分を練り込んだ上での配役なのかなという気もする。そういえばプリシラの付き人も藤原啓治で、しかもベテルギウスという名前が出てきた直後の話でアルデバランという名前がバラされて、こいつも絶対やばいやつだろと思っていたけど何もなかった。まあ流石に原作だとこの後に何かあるんだろうな。

ベテルギウスの気持ち悪さはすごかった。異常としか言いようのない言動で頭のネジが吹っ飛んだ悪役を演出しつつ、ギリギリのところで不快になりすぎないよう線引きが成立しているのが見事としか言いようがない。どんなに異常に見えてもちゃんと小物臭を漂わせてるのが効いてるのかな。レムをくびり殺したのは絶対に許されないけど。


どうでもいいけど、「はい、スバルくんのレムです」っていうやつ、セリフ自体はかわいくていいんだけど、自分がそう言われたいとは全く思わないなあと思った。おさけーくんのレムです、と言われたとしてもそうじゃないんだよ、レムはレムであって自分のじゃないんだよと思う。もしもレムが自分の所有物だったら、まあこのセリフは定型句みたいなものでそこまで強い意味は実質的にはないのかもしれないが、とにかく所有物であるかのような言い方をされたら、レムが注いでくれる承認はほとんど意味がなくなってしまう。自分と関係ない、第三者の客観的な立場から見て評価してくれないと、自分で自分を褒めているのと変わらない。それでいい人もいるかもしれないが、自分はそれでは生きられない、と思う。

そういう感じで、単純にタイムループものの冒険活劇として面白かった+承認欲求について色々考えるところのあるアニメだった。小説も読まないと。